HIV感染症と医療
エイズが死の病であった時、HIV感染者が子供を希望しても子供を作らないように指導するのが医療従事者の職務とされてきました。しかし1996年にプロテアーゼ阻害剤(PI)という新しい薬剤を含む多剤併用療法が導入されて以来エイズ死亡者は激減し、HIV/エイズはコントロール可能な慢性感染症になりつつあります(図1)。HIV感染者の延命が可能になり、生存しているHIV感染者が増えてきて、HIV感染者はQOL(生活の質)の改善を求めています。

図1 米国のAIDS患者報告数と生存AIDS患者数の年次推移

図2 HIV感染者の予後は飛躍的に改善
図2に示すように、最近のHIV感染症の治療の進歩は目覚ましく、25歳のHIV感染者は60歳前後まで生存可能になりつつあります。今後も多くの新薬が研究開発され、HIV感染者はますます長生きできると予想されています。そのため、HIV感染者であっても普通の生活をしたい、働きたい、結婚して子供を持ちたいと考えるのはごく自然な流れになってきました。そのような状況で、最近結婚して子供が欲しいと願うHIV感染者が増えてきました。しかし、主治医に子どもの相談をしても2次感染防止のためにコンドームの使用を言われるだけで、子どもを持つことをあきらめたり、逆に無防備に子供を作ろうとして妻が感染してしまった夫婦もいます。HIV感染者の生殖補助医療も年々進歩しており、いろいろな方法による2次感染の危険性を理解する必要があります。人工授精や体外受精の方法は施設や医師によって大きく異なっており、安全性もそれぞれの施設によって異なります。ウイルス除去が不十分な方法は2次感染の危険があるので注意すべきです。
また、HIV感染者の診療は進歩していますが、現状ではHIVを完治させる方法はなく、一生薬剤の内服を続ける必要があります。そこで長期内服に伴う副作用が深刻になりつつあります。また、成人に比べて小児の抗HIV剤の開発は遅れており、免疫力の弱い乳幼児の予後は未だに不良です。また、抗HIV剤を妊婦に投与すると奇形児が生まれる危険性もあります。そのため私たちは単に母子感染を予防するだけでなく、母も子も感染させないために、HIV感染者の精液からHIVを完全に除去する方法を開発しました。
HIV感染者の精液所見

図3 HIV感染者の精液
HIV感染者の精子の特徴として以下の3つがあります。
- 精子数の減少
- 精子運動率の低下
- 精子の正常形態率の低下
HIV感染者の精子異常がどのようにして起こっているかは不明で、現在我々は研究を進めています。エイズが進行している場合は特に異常所見が高率に見られます。
HIV感染者の精液には精漿中に浮遊しているHIV(RNA)の他に精子に付着したHIV(RNA)、ウイルスを産生している白血球(HIV DNA)などが含まれます。精液中の感染細胞から作られるHIV(RNA)は強い感染力を持っています。抗HIV療法で血液中のウイルス量が検出限界以下になった場合も、精液中の白血球の中にHIV DNAは残存し、そこからHIV(RNA)が作られています。そのため治療で血液中のHIVが抑制されたとしても精液を介する二次感染の危険性はあるのでコンドームの使用を勧められています。
N Engl J MED 339(25):1846-1848,1998HAARTで血中ウィルス量が検出限界以下になっても精液を介する2次感染の危険性は残存
- 精液中のHIV RNAは減少してもHIV Proviral DNAは残存する
- 精液中の細胞成分から作られるHIVの感染力は強い
- HAARTで血中のHIV RNAが減少してもコンドームは使用し続ける必要がある
性交渉による2次感染の危険性
HIV感染男性がHIV陰性女性と子どもを持つ場合の女性の2次感染確率
| 性交渉 | 毎年約4.8%ずつ感染 血中HIV量が多いほど感染確率が高くなる治療によってウィルスが少なくなると1回の感染確率は低くなるが、精子数の減少や機能が低下すると1回の妊娠率が低くなる |
|---|---|
| Semprini等の人工授精 | 1/2000以下だが0ではない |
| 我々の改良法による体外受精 | 理論上は100%安全だが検証中 |
異性間性交渉によるHIVの二次感染率は、平均1,000回の性交渉で1回感染する程度ですが、HIV/エイズが進行している場合は感染確率が高く、病状が安定している場合は低くなります。しかし、クラミジア感染症などの性感染症があるとHIVに感染しやすくなり、HIVに感染すると他の性感染症に感染しやすくなります。血中ウイルス量が多いほど性交渉による二次感染の確率は高くなり、ウイルス量が検出限界以下では二次感染が少ないと考えられますが、危険性は残ります。私たちの検討では血中HIV RNA量と精液中HIV RNA量には相関が認められ、抗HIV療法で血中ウイルス量が少なくなると精液中のウイルス量も少なく二次感染率が低くなると思われますが、正確な調査の実施は倫理的にも困難です。
スイスなどから薬剤治療で血中HIV RNA量が検出限界以下になった場合は2次感染の危険性が少ないので、生殖補助医療の必要性は少ないのではないかとの意見も出されましたが、反対意見も多く出ました。いくら薬剤治療で血液中のHIV RNA量が検出限界以下に抑制されても、精液中の細胞成分からHIVが作られており感染の危険性は残ります(図4)。さらにHIV感染男性の精子数が減り、精子機能が低下していると性交渉での妊娠確率は低くなってしまいます。

図4 治療で血中HIV量が検出限界以下になった場合の精液所見
排卵日のみの性交渉による2次感染の危険性
HIV感染男性(無治療群から治療群全体の調査)が排卵日だけコンドームを使用しないでHIV陰性女性と性交渉を行った場合、全体では毎年約4.8%の女性が感染していくと推測されています。
人工授精による2次感染の危険性
昔、HIV陽性者の無処理の精液を用いた人工授精では約3.5%の女性が2次感染しました。それに対して、イタリアのSempriniらは、Swim up法により精子を処理して現在までに2,000回以上人工授精を行い、2次感染がないと報告しています。しかし、Sempriniらの方法はウイルス除去が十分でなく安全性に疑問がもたれてきました。
現在、EUなどで実施されている人工授精は、本番ではHIVの除去を確認せずに実施しています。HIV除去の確認を行っていると時間がかかって精子機能が悪くなり妊娠率が低下するので実施時には検査を行っていません。また、事前の検査ではHIV RNAの除去検査だけを行っているようですが、HIVが検出されることもある上に、HIV DNAの検査はほとんどの施設で実施されていません。EUでの精液処理と人工授精はあくまでも2次感染の危険性を低くする方法として受け止められています。それでも2,000回以上の人工授精で2次感染が生じていないので、2次感染の危険性は低いとも思われますが、確率論であって危険性は残存しています。どの方法を選択するかについては、感染者ご夫婦と各方法の危険性や妊娠の可能性などを十分に相談した上で決定すべきだと思います。